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おちょやん鶴亀家庭劇の実在モデルは松竹家庭劇!喜劇の歴史に注目!

連続テレビ小説103作目『おちょやん』

女優の道を生き抜き「大阪のお母さん」と呼ばれるまでになった、ひとりの女性の物語です。そんな「おちょやん」に登場する『鶴亀家庭劇』『鶴亀新喜劇』の実在モデルが『松竹家庭劇』『松竹新喜劇』と判明したので注目します!

ハナ
ハナ
喜劇の誕生や「俄(にわか)」との違いにも注目したいね!
サク
サク
どんな人物が関わっていたのかもね!

ということで、喜劇がどのように誕生したのかなど実在モデルについて紹介します☆

鶴亀家庭劇の実在モデルは『松竹家庭劇』!

喜劇の歴史

明治30年代まで続いていた俄(にわか)ブーム。16歳の時に歌舞伎役者・中村珊瑚郎さんの内弟子になり、浪花座で「中村珊之助」という芸名で初舞台を踏んだ”曾我廼家五郎”さんが千日前改良座・鶴屋団十郎さんの「俄」を見て、笑う芝居=「喜劇」を思いつきます。

そこで役者時代に出会った曾我廼家十郎さんを誘い、日露戦争が始まった1904年(明治37年)に『曾我廼家兄弟劇』を旗揚げしました。道頓堀「浪花座」での旗揚げ公演は、日露戦争を取り扱った「無筆の号外」という創作現代劇をし大当たり!一気に喜劇界の頂点に立ちました。

MEMO
●俄と喜劇の違い
「俄」とは、ダジャレやパロディで笑わせる、いわば即興コント!「喜劇」とは、しっかりとした脚本と演技で笑わせるお芝居です。

「無筆の号外」とは
洋食屋の開店チラシを新聞の号外と勘違いした人々が、ライスカレー・ビフテキの文字を見てロシアの人名だと思い、興奮して洋食屋に押しかけるというものでした。これが大ヒットした「曾我廼家兄弟劇」は、歌舞伎より気軽に家族全員で楽しめる娯楽として支持されました。

しかし、「俄」のような軽妙さを重視する曾我廼家十郎さんと、濃い芸風の曾我廼家五郎さんの間には喜劇観に相違があり、「曾我廼家兄弟劇」は分裂してしまいます。そして、曾我廼家五郎さんは「曾我廼家五郎劇」・曾我廼家十郎さんは「十郎劇」を結成し、それぞ活動をするようになりました。

1925年(大正14年)、曾我廼家十郎さんが鉛毒からくる腎臓病で死去。それからは、曾我廼家五郎さんが「十郎劇」の役者も一座に吸収し、東京を始め全国各地で公演。こうして大人気劇団の座頭となった曾我廼家五郎さんは「日本の喜劇王」と呼ばれるようになりました。

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楽天会を旗揚げ

1908年(明治41年)、白井松次郎さん・大谷竹次郎さん兄弟の「松竹合資会社(現:松竹株式会社)」が「曾我廼家兄弟劇」の人気さに注目。そこで、初代・渋谷天外さんと中村楽翁さんを支援して『楽天会』を旗揚げしました。

「楽天会」の名前は、渋谷天外の”天”と中村楽翁(曾我廼家箱王)の”楽”をとってつけられました!

それから「楽天会」は、「曾我廼家兄弟劇」を超えるほど人気となりますが、1916年(大正5年)12月17日35歳という若さで初代・渋谷天外さんが死去。「楽天会」は、渋谷天外さんを失って人気が低迷していきました。

1920年(大正9年)には、看板役者・中村楽翁さんも死去し、「楽天会」はさらに低迷していきます。そして2年後の1922年(大正11年)9月に「楽天会」は解散しました。

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「松竹家庭劇」を旗揚げ

初代・渋谷天外さんの長男として、1906年(明治39年)6月7日に京都市で生まれた渋谷一雄さんは8歳の頃に、父親が主催する劇団「楽天会」の子役が亡くなったため、急遽代役として初舞台を踏み役者デビューしました。

しかし「楽天会」は解散。しばらく舞台から離れていましたが、1922年(大正11年)に「志賀廼家淡海一座」へ加わり、曾我廼家十郎さんの勧めで脚本を書くようになりました。その後、松竹は「曾我廼家五郎劇」に対抗する劇団として「松竹家庭劇」を旗揚げ。二代目・渋谷天外となった渋谷一雄さんと曾我廼家十吾さんが中心となり活動しました。

「松竹家庭劇」から「松竹新喜劇」に

1928年(昭和3年)に旗揚げした「松竹家庭劇」ですが、助っ人として浪花千栄子さんも参加していました。そして、1930年(昭和5年)からは正式に配属されています。

一方、喜劇に対する方向性の違いがある曾我廼家十吾さんと渋谷天外さんは、よく対立(ケンカ)していました!戦後の1946年(昭和21年)5月には、渋谷天外さんが妻の浪花千栄子さんを連れ「松竹家庭劇」を脱退しています。その後、曾我廼家十吾さんは病気になり「松竹家庭劇」は自然消滅状態に・・・。

復活後は「曾我廼家五郎劇」に入りましたが、1948年(昭和23年)11月に曾我廼家五郎さんが死去。松竹は、「曾我廼家五郎劇」の主要メンバーに「松竹家庭劇」を合わせ『松竹新喜劇』を旗揚げしました。この時、地方巡業していた渋谷天外さんや浪花千栄子さんを呼び戻し、旗揚げに参加させています。

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まとめ

今回は、「おちょやん」に登場する鶴亀家庭劇の実在モデル”松竹家庭劇”や喜劇のはじまりについて紹介しました!板尾創路さんが演じる須賀廼家万太郎のモデルが「喜劇王」と呼ばれた”曾我廼家五郎”さんとなります。おちょやんではどう描かれるのか、注目です!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆