連続テレビ小説「エール」
いよいよ第3週がスタートし、裕一は17歳となりました!子役の石田星空くんから窪田正孝さんへバトンタッチです☆そんな裕一は、ハーモニカ倶楽部の一員となり活動するように!そこで、ハーモニカ倶楽部の実在モデルが存在するのか調査しました♪
今回は、ハーモニカ倶楽部・実在モデル・窪田正孝さんのハーモニカの腕前・演奏会のロケ地について紹介します!
ーもくじー
『ハーモニカ倶楽部』について!
ハーモニカとの出会い!
「エール」運動会が始まり藤堂先生はハーモニカ部の女の子達に西洋では競技と競技の間に音楽とか演奏するんだ。ハーモニカ部ここにありって驚かしてやろうと言う。徒競走で裕一の番になり走るが裕一は転んでしまう。その時ハーモニカ部は演奏すると裕一はゴールして藤堂先生によく頑張ったなと言う。 pic.twitter.com/RrrOwrPzu8
— シグナル (@elefl69) April 1, 2020
裕一は運動が苦手で、小学校の運動会が憂鬱でした。 騎馬戦の練習では、上に乗ったクラスメイトを支えきれずいつも崩れていました!そんな裕一は、体育教師・新田から平手打ちをされます。その時、東京から赴任してきた教師”藤堂清晴”が「よしましょうよ」と助けてくれました!
運動会当日、騎馬戦は上手くいったのですが、徒競走で転び生徒たちに笑われてしまいます。起き上がる気力を失った裕一は、地面に這いつくばっていました。その時、ハーモニカのメロディーが!!藤堂先生の指揮で女生徒たちが演奏を始めたのです!
裕一は立ち上がり、音楽に包まれながらゴールへと向かいました。その音楽は、生まれて初めて聞く”自分へのエール”だったのです。
「ハーモニカ倶楽部」って?!
裕一は商業学校で学びながら独学で音楽の勉強を続け、ハーモニカ倶楽部に所属していました。ある日、ハーモニカ倶楽部の会長・館林信雄から実家の料亭を継ぐために音楽を辞めると聞かされます!プロを目指すと語っていた館林を尊敬していた裕一は、落胆しました。
館林に「音楽理論も学んでいないのに、本気で音楽家になるつもりか?」と言われた裕一は見返そうと演奏会の曲を書き始めますが、なかなか思い浮かびません。ハーモニカ倶楽部の次の公演では、メンバーが自作した曲の中から選ばれた曲が演奏されるのです!
書けない裕一にメンバーの楠田史郎は「怒りを原動力にするのは君らしくない」と指摘!そして目が覚めた裕一は、猛烈な勢いで曲を書きました。結果は、裕一の圧勝。館林は裕一の才能を最初から認めていたのでした。
そんな中、実家の喜多一に問題が・・・。三郎が連帯保証人になっていた、京都の仕入れ先が多額の借金を踏み倒し逃げたのです。そして、茂兵衛から融資を受けることになるのですが、条件は裕一か浩二を養子に出すこと。その話を聞いた裕一は、音楽の道を諦める決意をしました。
ハーモニカ倶楽部の演奏会当日。裕一は、自ら作った曲を懸命に指揮し聴衆を魅了、演奏後は観客から総立ちの拍手を受けました。そして、ハーモニカ倶楽部を辞め音楽と縁を切りました。
『ハーモニカ倶楽部』の実在モデルは?
エールに登場しているハーモニカ倶楽部の実在モデルは『福島ハーモニカ・ソサエティー』です!!当時、日本でも有数のハーモニカバンドでした。
実在モデルである古関裕而さんは1922年(大正11年)、音楽家の多い旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学します。家業を継ぐために商業高校に通い始めるのですが、常にハーモニカを携帯し、学業より作曲に夢中でした。この頃も、妹尾楽譜や山田耕筰著の「作曲法」等を買い集め、独学で作曲法の勉強を続けていました。
そして学校を卒業する頃、福島ハーモニカ・ソサエティーに入団します!古関裕而さんは作曲・編曲・指揮を担当して、地元の音楽仲間が主宰していた「火の鳥の会」が近代音楽家のレコードコンサートを開いていました。ここで初めて近代フランス、ロシアの音楽に出会い衝撃を受けます。
しかし、学生時代に実家の呉服店が倒産していたので、卒業後の仕事を見つけなければなりませんでした。そこで古関裕而さんは、まだ音楽で食べていけるだけの力がないので、川俣銀行(現:東邦銀行)に入社することを決意しました。
就職後、古関裕而さんは山田耕筰さんの事務所へ楽譜を送り手紙のやり取りをしました。また、福島ハーモニカ・ソサエティーの一員として仙台中央放送局(現:NHK仙台放送局)の番組に出演します。そして、リムスキー=コルサコフの弟子・金須嘉之進さんに師事することになりました。
1929年(昭和4年)、古関裕而さんが作曲した管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』が、ロンドンのチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールで2位に入賞!!日本人初の国際的作曲コンクールにおける入賞で、新聞でも大々的に報道されました。
窪田正孝さんはハーモニカ上手い?下手?
窪田正孝さんがハーモニカを吹いているシーンが放送されているので、上手いの下手なのか調査しましたが評価されていませんでした(笑)しかし、こんな声が!!
あのデカいハーモニカはバスなんだね😊#エール#朝ドラエール#窪田正孝
— りえ (@LqYbrXlmio0oa2F) April 12, 2020
ハーモニカ拭く姿がカッコいい💕
もちろん、吹く姿も❗️#エール#朝ドラエール#窪田正孝— りえ (@LqYbrXlmio0oa2F) April 12, 2020
あぁぁハーモニカふいてる窪田正孝で
丼5杯はイケる。#エール— おがわ @らむねの縦読み下ネタbot (@Vj6uo) April 12, 2020
ハーモニカ吹いてる裕一さんの破壊力ヤバすぎて心臓撃ち抜かれてる私は、月曜から生きていけるかな。。。
#窪田正孝 #朝ドラエール #エール— ゆかえる🛡🐰 (@yukartemis) March 25, 2020
「ハーモニカを吹く姿がカッコイイ」という声!!これは誰もが共感できそうですよね☆そして、大きなバス用のハーモニカ・・・ハーモニカ倶楽部のシーンはいろいろと目が離せそうにありません(笑)
演奏会のロケ地はココ!
ハーモニカ倶楽部が演奏会をした場所について調べると、ロケ地は「旧広瀬座」ということが分かりました。旧広瀬座は、福島県伊達郡梁川町(現:伊達市)にあった芝居小屋で、現在は福島市の福島市民家園に移築されています。
1887年(明治20年)頃に建築された旧広瀬座は、大衆娯楽施設として広瀬川の近くに町民有志のもと建てられました。舞台中央は回り舞台でその床下には奈落があり、花道・ぶどう棚・ちょぼ席など芝居小屋として必要なものはひと通り備えてあります。和風の外観ですが、小屋組みは建築当時の流行であった洋風の真束組みが採用されているそうです。
大正時代にかけて、映画館としての役割が大きくなり、昭和50年代まで映画館として親しまれていました。ちなみに、大正時代の活動弁士を夢見る青年を描いた映画「カツベン!」のロケ地としても利用されています!さらに1998年、国の重要文化財に指定されました!
所在地:福島県福島市上名倉字大石前地内(あずま総合運動公園内)
開園時間:午前9時00分~午後4時30分
休園日
●毎週火曜日(火曜日が祝祭日の場合はその翌平日が休園日)
●年末年始(12月29日~1月3日)
入園料:無料
アクセス方法:
●JR「福島駅」からタクシーで約25分
●福島交通バス/「佐原」行きに乗り「室石」付近で下車、徒歩8分
●福島西インターから車で約10分
公式サイト:福島市民家園
まとめ
今回は、エールで裕一が所属している「ハーモニカ倶楽部」についてと、その実在モデル「福島ハーモニカ・ソサエティー」について紹介しました!ハーモニカの音色って綺麗ですよね♪そしてそれに負けないくらい綺麗なのが窪田正孝さん!!
ロケ地となった「旧広瀬座」も素敵なのでぜひ注目してください。最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆