NHK連続テレビ小説102作目『エール』♪
ヒロイン・関内音の役が、二階堂ふみさんに決定して話題になっています☆二階堂さんが朝ドラに出演するのは、初めてなので新鮮ですよね(笑)
今回は、古関金子さんの家族(内山家)や子ども(古関裕而さんとの)などに注目しながら、生涯について紹介します☆
古関(内山)金子さんの生涯について
家系図!
家族は?!
1912年(明治45年)、内山安蔵さんとみつさんの”三女”として愛知県豊橋市で生まれました。家族は長男と姉妹6人で、家業は豊橋市に駐屯していた陸軍の第十五師団に物資を納入する業者でした。父・安蔵さんは、金子さんが12歳の時に死去。その後は母親が家業を引き継いで子育てをしました。
三女ってことは、長男(内山勝英さん)・長女・次女・金子さん・四女・五女・六女になりますね!そして、お兄さんのお名前は分かったのですが、姉や妹についての情報がなく分かりませんでした。引き続き調べるので、分かり次第追記します☆
女人芸術に参加?
金子さんは幼い頃からお転婆で、音楽と文学が好きということもあり「オペラ歌手」を目指します。1928年(昭和3年)豊橋高等女学校(現・豊橋東高等学校)を卒業後、「女人芸術(にょにんげいじゅつ)」に参加して中部地方委員になりました。
※女人芸術とは・・・長谷川時雨さんが主宰して、1928年(昭和3年)7月から1932年(昭和7年)6月まで48冊を出した女性の文芸雑誌です!
この頃、金子さんは満州で事業をしていた長男・内山勝英さんのところに遊びに行きますが、帰国の際に乗船した客船が、座礁して沈没します。この時に死を覚悟したそうです。
古関裕而さんとの結婚
1930年(昭和5年)1月、無名だった古関裕而さんが「竹取物語」で入賞したという新聞記事を読み、”素晴らしい人がいるものだ”と感心した金子さんはファンレターを送ります。それから4ヶ月くらい、文通のやりとりをして互いに恋心が芽生えました!その後、豊橋まで会いに来てくれた古関裕而さんと一緒に福島へ帰り、そのまま結婚。
古関裕而さん20歳・金子さん18歳でスピード結婚をし、晩年までおしどり夫婦と言われていました☆
この頃、金子さんは家の家計を助けるために、名古屋の雑誌発行人のもとで”雑誌の編集”の手伝いを住み込みで始めました!それと同時に声楽教師について、歌の勉強を始めています。
結婚後・・・
1935年(昭和5年)の秋に、日本コロムビアから招かれ、古関裕而さんと金子さんは上京します。暫くは阿佐ヶ谷に住んでいた、金子さんの長姉の家に居候して家を探していました!古関裕而さんが、コロムビアの専属作曲家になった1936年(昭和6年)に、世田谷区代田に家を構えます。
近くに”帝国音楽学校”があったので、金子はさんは声楽部本科に編入!そこでベルトラメリ能子さん(声楽家・ソプラノ歌手)に師事し、本格的に声楽の勉強を始めました。
●1932年(昭和7年)長女・雅子さん
●1934年(昭和9年)次女・紀子/みちこさんが誕生!
長男の誕生♪
1946年(昭和21年)、古関裕而さんと金子さんの長男・古関正裕さんが誕生します☆
古関正裕さんについて・・・
高校・大学在学中は、学生カントリー・バンドやグループサウンズ「ヴィレッジ・シンガーズ」のキーボード、(財)MRAのシングアウト活動「Let’s Go」のミュージカル・ディレクターなどの音楽活動をします。
大学卒業後は、日本経済新聞社に就職しました。データベース・システム、オンライン情報サービス・システムの開発などに携わりますが、早期退職(定年扱)します。その後は、青山で輸入婦人服のセレクト・ショップ「ブティック・ラフィーナ」を営みながら小説「緋色のラプソディー」を執筆し出版!
父・古関裕而さんの生誕100年記念CD全集の企画・監修で2009年日本レコード大賞企画賞を受賞します。2013年には、鈴木聖子さん・齊藤早苗さんと共にライブユニット「喜多三」を立ち上げました。
歌や演奏だけではなく、楽曲の紹介や曲にまつわるエピソードなどのトーク・ライブも行い、都内のホールやライブハウスを中心に活動しています。
正裕さんは結婚し、古関裕而さん・金子さんと二世帯住宅での同居を始めます!孫が生まれると子育てをめぐって、口を出さずにはいられない金子さん・・・お決まりの嫁姑バトルです!そのために別居するようになりますが、それからは良い関係になりました!
古関裕而さんが、オリンピック東京大会組織委員会とNHKから作曲依頼があり、オリンピック・マーチを作曲!そのときの父の喜びが尋常ではなかったと長女が回想しています。という情報が・・・
しかし、詳しい情報がないので明確ではありません!長女について情報があれば、追記します☆
出産後~晩年について
金子さんは、ベルトラメリ能子さんの門下生の中では一番弟子で『カヴァレリア・ルスティカーナ』や『トスカ』などの舞台を踏みました。しかし、子育てに専念するために学校を中退。1940年には、オペラやオペレッタに出演しています。
1958年からは「婦人文芸」に参加し、のちに委員となり詩や随筆を寄稿しました。1961年には、古関裕而さんと共にヨーロッパ、中近東へ海外旅行へ。そして1980年7月23日に、乳ガンが全身に転移して、68歳で亡くなりました。
まとめ
戦前~戦後の昭和という激動の時代、人々の心に寄り添い、数々の楽曲を生み出した作曲家・古関裕而さんと妻・金子さんの人生を描く朝ドラ「エール」♪古関金子さんの、才能や愛情はそのままで演じてほしいなと感じました!
エールで古関金子さんをモデル・関内音を演じる、二階堂ふみさんにも期待しましょう。最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆