朝ドラ

エール実在モデル・古関裕而の生涯や家族を紹介!実は長女がいる?

連続テレビ小説「エール」

主演は、俳優の窪田正孝さんと発表されましたね!朝ドラの主人公を男性が務めるのは、14年に放送された「マッサン」の玉山鉄二さん以来、6ぶりということもあり話題を呼んでいます♪

ハナ
ハナ
窪田正孝さん目当てで観る人が多いかもね☆
サク
サク
「エール」はどんなエピソードかな?

今回は、窪田正孝さんが演じる主人公・古山裕一の実在モデルと言われる、福島市出身の作曲家・古関裕而さんについて紹介します♪

「エール」はどんなストーリー?!

「栄冠は君に輝く」「六甲おろしなどで知られる、作曲家・古関裕而さん夫妻をモデルに、人々の心に寄り添う曲の数々を生み出した昭和の天才作曲家とその妻が描かれます♪福島の老舗呉服店の長男として生まれた主人公が、独学で作曲を開始!歌手を目指す愛知県豊橋市の女学生と文通で愛を育み結婚、ともに音楽の道を歩む物語です。

窪田正孝さん自身も野球少年で、高校野球の曲として使われている栄冠は君に輝くなどの曲に、なじみがあるそうです☆

実在モデル・古関裕而さんについて

名前:古関裕而(こせきゆうじ)
本名:古關勇治(こせきゆうじ)
生年月日:1909年8月11日
出身:福島県福島市
職業:作曲家
ジャンル:応援歌・軍歌・歌謡曲
家族:古関金子(妻)、古関正裕(長男)

※古関裕而さんは、運動音痴で、野球に興味がなかったそうです!
※お酒は、全く飲めませんでした!

古関裕而さんの誕生

1909(明治42)年8月11日、福島県福島市大町の呉服店「喜多三」に生まれた古関裕而さん!両親は、父・三郎次さん、母・ヒサさんです!音楽好きの父親が、蓄音機でレコードをいつもかけていたので、蓄音機が奏でるレコードの音色を聴いて育ちました。そんな古関裕而さんは、独学で作曲の道を志していくことに。

近所に、5歳年上の「鈴木喜八さん」という少年がいました。のちに「野村俊夫さん」(作詞家)となって古関裕而さんとともに数々の曲を世に送り出すこととなります♪

楽しそうに聴いている息子の姿を見た母親が、小さなピアノを購入すると古関裕而さんは、喜んび夢中でピアノに向かいます。弾いているうちに音符の意味がわかるようになり、小学校を卒業する頃には、楽譜が読めるようになっていました。

古関裕而さんの学歴

1916年(大正5年)、7歳のときに福島県師範学校附属小学校へ入学。
10歳の頃には楽譜が読めるようになり、市販の妹尾楽譜などを買い求めるようになります。作曲に夢中になった古関裕而さんのもとには、クラスメイトが詩を持って作曲を依頼してくるようになりました。

ハナ
ハナ
10歳で作曲か!しかも友だちに頼まれるってスゴイね!


1922年(大正11年)、音楽家の多い旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学します。家業を継ぐために商業高校に通いますが、常にハーモニカを携帯し、学業より作曲に夢中でした。この頃も、妹尾楽譜や山田耕筰著の「作曲法」等を買い集め、独学で作曲法の勉強を続けています。

サク
サク
在学中に、家業の呉服店が倒産しちゃったんだって!

学校を卒業する頃、福島ハーモニカ・ソサエティーに入団(当時、日本でも有数のハーモニカバンドでした)します!古関裕而さんは作曲・編曲・指揮を担当して、地元の音楽仲間が主宰していた「火の鳥の会」が近代音楽家のレコードコンサートを開いていました。ここで初めて近代フランス、ロシアの音楽に出会い衝撃を受けます。

1927年(昭和2年)18歳の頃に、ペンネームを「古関裕而」にします。ラジオが大好きだった古関裕而さんは、福島商業学校時代に楽治雄(らじお)というペンネームも使用していました。

卒業後は、川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に就職。この頃、学生時代から憧れていた山田耕筰さんの事務所へ楽譜を郵送し、何度か手紙のやり取りをします。

1929年(昭和4年)、古関裕而さんが作曲した管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』が、ロンドンのチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールで2位に入賞しました。

ハナ
ハナ
日本人初の国際的作曲コンクールにおける入賞だったんだよ!

コロムビア専属に・・・

この投稿をInstagramで見る

 

asaki(@ask_ko_sei)がシェアした投稿


翌年、21歳になった古関裕而さんは結婚し、著名な音楽家・山田耕筰さんの推薦により日本コロムビアに入社しました。はじめてのレコードは『福島行進曲』です。1931(昭和6)年には、早稲田大学応援歌『紺碧の空』を作曲しました。同年9月、コロムビアの顧問山田耕筰さんの推薦でコロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京します。東京では菅原明朗さんに師事しました。

しかし実家が破綻してからは一族を養うため、クラシックの作曲から離れることに・・・。東京に移ってからのオーケストラ作品に、関東大震災を描いた交響詩『大地の反逆』があります。また、無調的な歌曲『海を呼ぶ』なども作曲しました。

ハナ
ハナ
コロンビア入社は稼ぐためだったのかも・・・

1935年(昭和10年)、古関裕而さん26歳の時に『船頭可愛や』(詩:高橋掬太郎さん・唄:音丸さん)がヒット!この頃、声楽家志望だった妻・金子さんは帝国音楽学校へすすんでいました。

古関裕而さんの戦中から戦後

1936年(昭和11年)、『大阪(阪神)タイガースの歌/通称・六甲おろし』を作曲!※現在のプロ野球12球団のなかで最も古い球団歌です。

ドイツでは、ベルリンオリンピックが開催され、日本は金6・銀4・銅8・合計18個のメダルを獲得しました。この年に、東京はオリンピック1940年大会の招致に成功します。しかし、戦争の長期化にともない物資が不足してきたことから、反対意見が噴出。政府は東京オリンピックの返上を決定し、ここから日本は戦争への道を突き進んでいきます。

サク
サク
戦争なんて、もう2度と嫌だよね!

そして1937年(昭和12年)に発表された古関裕而さん作曲の『露営の歌』は、60万枚を記録しました。1938年(昭和13年)、中支派遣軍報道部の依頼により、従軍音楽部隊として上海・南京を訪れます。

1940年(昭和15年)には『暁に祈る』を発表!古関裕而さんが作曲した軍歌で、最もヒットした曲です。翌年は『海の進軍』が発表されました。

ハナ
ハナ
古関裕而さん自身が、前線の悲惨な体験や目撃し『暁に祈る』や『露営の歌』に結びついたんだって!

1942年(昭和17年)、南方慰問団派遣員として、シンガポール・ビルマ(現在のミャンマー)で慰問に従事します。1943年(昭和18年)の『若鷲の歌』は映画でも歌われ大ヒットしました。1944年(昭和19年)に『ラバウル海軍航空隊』を発表し、さらにビルマへ赴き『ビルマ派遣軍の歌』を作曲しました。

作曲した軍歌は、軍の委嘱による師団歌や連隊歌ではなく、軍国歌謡・戦時歌謡・銃後歌謡でしたが、その曲数は100近くにのぼった(戦後GHQによって廃棄させられた楽譜もあるため、正確な数は不明)そうです!

1945(昭和20)年8月15日、戦争が終わりました。戦後は、暗く不安な日本を音楽で明るくするための活動に力を注ぎます!

  • 長崎だけにとどまらず日本全体に向けた壮大な鎮魂歌『長崎の鐘』
  • 戦災孤児の救済がテーマのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌『とんがり帽子』
  • 1964年、東京オリンピックの開会式に鳴り響いた『オリンピック・マーチ』
  • 現在も毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌『栄冠は君に輝く』

他にも『フランチェスカの鐘』『君の名は』『高原列車は行く』など、次から次へと古関裕而さんの明るい曲・元気な曲・勇壮な曲が発表されました!

息子の古関正裕さんは、父が帰宅すると「オリンピックのマーチ、開会式のマーチを頼まれた」と嬉しそうに話したこと、そして母・金子さんが大喜びしたことを、よく覚えているそうです!

アジアで初めて開かれるオリンピックに世界の多くの若人が集まる瞬間を、2人でイメージして作ったと言われています。

ハナ
ハナ
野球やオリンピックに関係してたんだね☆
サク
サク
聴き覚えのある曲もあるんじゃない?

その後は、劇作家の菊田一夫さんとコンビを組んで、数々のラジオドラマ・テレビドラマ・映画・演劇・ミュージカルのヒット作品を世に送り出します。1961年に菊田さんと手がけた、森光子さん主演の「放浪記」は長期公演舞台となりました。菊田さんと共同したミュージカル『敦煌』から交響組曲『敦煌』を編んでいます。

近年では、同じ様に流行歌の作曲家としても活躍した江口夜詩さんとともに「近世の日本のマーチ作曲者の代表的存在」として研究対象とされる事が増えてきました。

古関裕而さんの晩年

  • 1973年(昭和48年)長年コンビを組んだ菊田一夫さんが逝去。
  • 1979年(昭和54年)勲三等瑞宝章受賞。レコード大賞特別賞受賞。
  • 1980年(昭和55年)妻・金子さん死去。
  • 1986年(昭和61年)作曲生活から引退。
  • 1987年(昭和63年)「日曜名作座」を3人で30年間続けた業績に対し、森繁久彌、加藤道子とともに放送文化基金個人部門賞受賞。

フジテレビ系の音楽番組『オールスター家族対抗歌合戦』が開始された1972年10月から、初代司会者の萩本欽一さんが降板する1984年6月24日まで、審査員として務めていました。

1977年には、「栄冠は君に輝く」制定30周年を記念して夏の甲子園の開会式に招待されました。大会旗掲揚の時に、大会歌の大合唱が起こり感激したそうです。また、この大会では母校の福島商業高校が甲子園初勝利!1957年に古関裕而さんが作曲した校歌を聴くことも出来ました。

福島県福島市最初の名誉市民ということで、同地には1988年11月12日に「福島市古関裕而記念館」も建てられています。この頃、古関裕而さんはすでに入院生活を送っていたため、足を運ぶことは出来ませんでした!

半寿の誕生日から1週間足らずの、1989年(平成元年)8月18日午後9時30分に脳梗塞のため聖マリアンナ医科大学病院で死去(享年80歳)しました

古関裕而さんのモニュメント?!

2009年4月11日に生誕100を記念して、JR福島駅の発車メロディに古関裕而さん作曲のメロディが採用されることになりました。在来線ホームは「高原列車は行く」・新幹線ホームには「栄冠は君に輝く」が発車メロディ用に30秒間にアレンジされ流れています。

8月11日には、地元福島市の福島駅東口駅前広場にモニュメントが設置されました。

View this post on Instagram

 

福島からの歌声で風評払拭を #fukushima4u #古関裕而

Hiroshi Endoさん(@pufuwithhiroshi)がシェアした投稿 –


30歳代後半の古関裕而さんが愛用した、オルガンを奏でる姿をかたどったデザインです!午前8時から午後8時まで、1時間おきに「栄冠は君に輝く」「長崎の鐘」など作曲したメロディーが流れる仕組みになっています。

家族は?家系図でチェック!

妻・古関(旧姓内山)金子さん

金子さんは、明治45年に愛知県豊橋市で生まれました。音楽好きだった金子さんは、高等女学校に進み、将来は声楽家になりたいと考えていました。

結婚までの流れは・・・?
無名だった古関裕而さんが「竹取物語」で入賞したという報道を読み、内山金子(きんこ)さんがファンレターを送りました。古関裕而さんとは4ヶ月ほど文通のやりとりをし、互いに恋心が芽生えます!豊橋まで会いに行った、古関裕而さんと一緒に福島に行き、そのまま結婚しました。

1935年(昭和5年)の秋に、日本コロムビアから招かれ、古関裕而さんと金子さんは上京します。暫くは阿佐ヶ谷に住んでいた、金子さんの長姉の家に居候して家を探していました!古関裕而さんが、コロムビアの専属作曲家になった1936年(昭和6年)に、世田谷代田に家を構えます。

その後、帝国音楽学校で本格的に声楽の勉強を始めた金子さんですが、その才能は中山晋平さんにも絶賛されていました!

しかし戦後に長男が生まれ、子育てに専念するため声楽は辞めています。そして1980年7月23日に、乳ガンが全身に転移して、68歳で亡くなりました。

ハナ
ハナ
古関裕而さんは愛妻家で、晩年までおしどり夫婦だったんだって☆

長男・正裕さん

1946年(昭和21年)、古関裕而さんと金子さんの長男として東京で生まれました。

高校・大学在学中は、学生カントリー・バンドやグループサウンズ「ヴィレッジ・シンガーズ」のキーボード、(財)MRAのシングアウト活動「Let’s Go」のミュージカル・ディレクターなどの音楽活動をします。

大学卒業後は、日本経済新聞社に就職しました。データベース・システム、オンライン情報サービス・システムの開発などに携わりますが、早期退職(定年扱)します。その後は、青山で輸入婦人服のセレクト・ショップ「ブティック・ラフィーナ」を営みながら小説「緋色のラプソディー」を執筆し出版!

父・古関裕而さんの生誕100年記念CD全集の企画・監修2009年日本レコード大賞企画賞を受賞します。2013年には、鈴木聖子さん・齊藤早苗さんと共にライブユニット「喜多三」を立ち上げました。

歌や演奏だけではなく、楽曲の紹介や曲にまつわるエピソードなどのトーク・ライブも行い、都内のホールやライブハウスを中心に活動しています。

2016年秋に齊藤早苗さんさんが脱退し、2017年からは鈴木聖子さんと二人でシンセサイザーとボーカルをメインとし、ピアノなども加えた編成のライブを行っているそうです。

正裕さんは結婚し、古関裕而さん・金子さんと二世帯住宅での同居を始めます!孫が生まれると子育てをめぐって、口を出さずにはいられない金子さん・・・お決まりの嫁姑バトルです!そのために別居するようになりますが、それからは良い関係になりました!

サク
サク
これからも、喜多三の活動続けてほしいね!

古関裕而さんには長女も!?オリンピック東京大会組織委員会とNHKから作曲依頼があり、オリンピック・マーチを作曲!そのときの父の喜びが尋常ではなかったと長女が回想しています。という情報が・・・

追記
●1932年(昭和7年)長女・雅子さん
●1934年(昭和9年)次女・紀子/みちこさん
が誕生したそうです!
しかし、詳しい情報がないので明確ではありません!分かり次第、また追記します☆

まとめ

古関裕而さんのことを詳しく知らなかったけど、この曲は聴いたことるよっていう方も多いのでは?どんな時代にどんな思いで作ったのか知ると、聴き方変わりますよね!

古関裕而さんも関係していた「東京オリンピック」が開催される2020年4月から、NHKの連続テレビ小説「エール」送されます!オリンピックも朝ドラどちらも楽しみですね!期待して待ちましょう♪

最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆