朝ドラ

スカーレット武志が白血病で余命宣告!すでに武志ロス状態に?!

連続テレビ小説101作目『スカーレット』

第22週に入って、武志の体調がすぐれずTwitterでは「武志しんどそうやな心配」「武志早く病院に行こ」「武志 そんなに辛いんだ」と心配の声がたくさんあがっています!今後どうなるのか注目です!

ハナ
ハナ
たけしぃーー!!喜美子と八郎に早く言えば良かったのに!
サク
サク
稲垣吾郎さん演じる”大崎先生”に期待だね!

今回は、武志の病気や今後のネタバレ・神山賢一さんの病気・Twitterでの声などを紹介します!

武志病気と余命について!


亜鉛結晶に惹かれた武志は、次世代展に応募する作品を完成させます!その頃の武志は、いつまでも治らない体調不良について悩んでいました。

その後、武志は体調の異変に不安を感じ一人で病院へ。すると、血液検査に異常が見つかり精密検査を受けることになりました!数カ月後に検査結果を聞きに行くと、喜美子だけが呼ばれます。そこで大崎医師に告げられたのは「白血病で、余命はあと数年」ということでした。

武志はどうなる?※ネタバレ

武志を死なせない!

武志は長引く体調の悪さが不安で、医学書を購入し病名を調べようとしていました。そんな中、真奈を自宅に呼び”たこ焼きパーティー”をすることに!しかし、準備をしている時に体調が悪くなり、真奈を追い返してしまいます。

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喜美子が武志の家に行くと、医学書の白血病のページに付箋が貼られているのを目にしました!武志は、体調の異変への恐怖と向き合いながら、自分の人生を陶芸にかけようと心を奮いたたせていたのです。そんな武志に余命を訪ねられた喜美子は、意を決して病名を継げました。

喜美子は、病気と闘う覚悟があることを武志に告げ「武志を死なせたりしない」と伝えます。その翌日、武志を連れ病院へ。診察の結果、1週間後に入院することが決まりました!

次世代展の結果は・・・

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武志が応募した次世代展の結果が発表される日、喜美子は八郎や直子たちも呼び、みんなで食事をすることに。 喜美子は武志のお祝いをしつつ、数日後に入院が決まっている事を話すつもりでした!

しかし武志は、病気のことを知られるのが嫌だというのです・・・特に八郎にはと。一方、武志は窯業研究所の掛井に検査入院をすると報告。夜になりましたが、家族が集まった川原家に武志は姿を現しませんでした。

向き合う決意!

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喜美子は、直子や百合子に武志の病気のことを告げ、ドナー検査をしてほしいと頼みました。遅れてきた八郎にも全てを打ち明けます!事実を知らされた八郎は激しく動揺しました。一方、武志は自身の病気の事実を知り、友人や仲間と飲み歩きます・・・。

その数日後、武志の入院生活が始まり喜美子はドナー検査を受けました。武志も、自分の病気と向き合う決意を固めます。八郎は喜美子にあることを提案。それは、会社を辞め信楽に戻り武志を支えるということでした。

退院し川原家へ帰宅!

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喜美子と八郎は、入院中の武志が絵本に書き込んだメッセージを読み、武志の気持ちを深く理解します。そしてその場に居合わせた信作にも、武志の気持ちを伝えました。その後、ほどなくして武志の退院が決まります。

武志は大崎先生と相談し、通院しながら治療することにしたのです。退院が決まった武志のもとには、照子や信作・真奈など武志の知り合いが次々とやってきました。しかし、急な高熱を出し、武志の容体が急変するのでした!その後、回復した武志は退院し川原家に帰ってきました。

ドナー検査の結果は・・・

武志がドナー検査を受けた結果、非常に珍しい型であることがわかりました。そして、喜美子や八郎のドナーの型は一致しませんでした。喜美子は武志の病室に行き、一致しなかったことを話します。「信作も照子の家族もやってくれることになっている。それでも血液の型が合わないかもしれない。それでも、型の合う人探そう。助けてくれる人がきっといるから」と!

その後、周囲に血液の型が一致する人は現れませんでした。そんなある日、ちや子が信楽に来て「ドナーの検査受けてきた。武志くんのために、協力できる人がいないか仲間に声をかけてみる」と言ってくれたのです。

患者の会に参加!

ある日、大崎先生が「白血病患者が集う”患者の会”があるんですが、武志君や喜美子さんも参加してみませんか?」と声をかけてくれます。喜美子は、一緒に闘える人が一人でもいることが力強いと参加を決意しました。

そんな患者の会の会長は、武志や喜美子に明るく振舞っていますが、精神状態はギリギリでした。喜美子たちは一緒に頑張ろう誓いあいます。武志のもとに真奈がやってきました。病気を理由に、避けるのは納得できないと・・・。それを聞いた武志は切なくなります。

作品づくりに夢中!

喜美子は仕事の関係で京都にでかけることになり、その間は八郎が来てくれることになりました。武志が作る陶芸を見て、八郎はアドバイスをします。しかし、武志は作陶中に高熱を出しました。八郎は、慌てて大崎先生に連絡します。大崎先生を待っていると、突然雨が降り出しました。その雨に武志はひらめきます。

武志は、それから作品づくりに夢中になって取り組みました。その間、大崎先生も八郎も武志の様子をじっと見守っています。喜美子も京都から帰ってきましたが、武志は作陶を辞めませんでした。照子の家族も武志のことを心配してやってきます。しかし武志に異変が・・・。

武志は大阪へ!

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喜美子が、患者の会で知り合った家族にお皿をプレゼントしようともっていくと、その白血病の子供の容態が急変し、亡くなってしまいます。落ち込んだ喜美子は武志に言った方がいいのか悩みます。そんな時、大阪からさだと圭介がやってきました。喜美子は、3人で懐かしい話をします。

武志の病気は少しずつ進行していき、体力が落ちていきます。体力がもたずアルバイトもやめました。武志の友達の学と大輔は、武志に一緒に大阪に出かけようと誘います。大崎先生の許可をもらい、仲良し3人組で大阪に出かけました!

武志が出かけている間に直子と真奈がやってきます。直子は帰ってきた武志に「真奈ちゃんええ子やん!今度一緒にドライブ連れてったる。そこで付き合い。」と・・・。

武志の作品と体の異変!

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ついに、理想の色・大皿の中に水が生きている様子再現することができました。武志は命がけでつくった皿といい喜びます。

しかし、武志は自分の体に異変を感じていました。味覚に異常がでていたのです!大崎先生に相談すると、薬の副作用ということがわかり違うものに。家では、八郎が武志の作品の完成祝いを準備していました。しかし、武志はそんな八郎と喜美子に死への恐怖を語ります。

そんな武志に喜美子は「死なせない」と強く言いました!そんなある日、信作から「みんなの陶芸展」という誰でも参加できる陶芸展が開かれることを聞きます。この頃、武志は型が一致する人が見つからないことで、食欲も細くなり弱気になっていました。しかし、喜美子と武志は「みんなの陶芸展」に作品を出品することにします。

真奈とドライブに!

ある日、直子が「3人でドライブに行こう」とやってきて、武志と真奈をドライブに連れていきました。武志と真奈が自宅に帰って2人きりになると、武志は真奈の似顔絵をスケッチします。

そして、喜美子は「みんなの陶芸展」に向けて作った作品を穴窯で焚いていました。そこに、照子と信作が。2人は武志の衰弱した姿にショックを受けます。

「みんなの陶芸展」

「みんなの陶芸展」初日。喜美子から招待を受けたちや子や草間さんもやってきました。信作からお願いされて招待した”ジョージ富士川”も来ています。武志は、ジョージ富士川のワークショップに参加していました。

喜美子は、「武志は白血病を患っています。その武志が命をかけて作った作品「命の茶碗」が今回展示されているので、見ていただけたらと思います。そして、今日がみなさんのいつもの一日なら、みなさんのあたりまえの日常に幸せを感じていただけたら」と語りました!

琵琶湖へ・・・

みんなの陶芸展が終わった後、喜美子たちはみんなで琵琶湖に行きました。そこで「大っきな海やなあ。」「海ちゃうで。湖や。」と常治とのやり取りを武志と再現します。それからも、喜美子は武志と一緒に作陶を続けました。

そんなある日、喜美子が武志に声をかけると反応がありません。喜美子が武志を抱きしめると・・・武志は喜美子の腕の中で亡くなりました。

それから、2年の月日が流れて・・・大崎先生が陶芸教室にやってきて作陶をしていました。そこに八郎もやってきます。武志が亡くなっても、喜美子の炎はいつまでも消えることがありません。

神山賢一さんについて!

神山賢一さんはどんな人?

スポーツが好きで少林寺拳法を習ったり、姉・久美子さんからテニスやバドミントンを習っていました。久美子さんと組んでバドミントンの地区大会で優勝したり、信楽町の体育部長としても活躍します。

そして、友人と大好きなバイクを改良してモトクロスのレースに出場!鈴鹿サーキットのモトクロスのレースで入賞したこともあるようです。

白血病が発症!

離婚した神山清子さんは、釉薬を使わない「自然釉」で色を出すことに成功し「信楽自然釉」と名付け、信楽焼の女性陶芸家の草分けとなりました。神山賢一さんは、信楽工業高校(現:信楽高校)を卒業後、窯業試験場(焼き物に携わる人が技術を学ぶ場所)に通い【ロクロ・釉薬・石膏型】の勉強に打ち込みました。

3年後、釉薬の研究をしていた神山賢一さんは「天目茶碗」の制作に熱中します。順調にいっているかのように思えましたが、29歳の時に慢性骨髄性白血病で倒れてしまいます。

医師からは「助かるには同じ白血球の型、HLAを持つドナーからの骨髄移植しかない」と説明されました。同じHLAを持つ確率はきょうだいで4分の1。残念ながら神山賢一さんと姉・久美子さんは適合しませんでした。他人から提供してもらうしか方法がありませんが、適合するのは数百人〜数万人に1人・・・。医師からは「息子さんの余命は2年半ほど」とも告げられました。

「神山賢一を救う会」を結成!

神山清子さんは陶芸に注いでいた情熱を、骨髄移植の実現に向け奔走・・・。完治には骨髄移植が有力ですが、身内や友人・知人に白血球の型が一致する人はいませんでした。

神山賢一さんの知人たちが「神山賢一君を救う会」を結成し、ドナー探しと募金活動を開始しします。さらに市民団体などが協力して「神山賢一君支援団体連絡協議会」も発足しました。2つの団体は「ほかの患者さんのドナーも探そう・骨髄バンクの早期実現を訴えよう」と骨髄バンク活動を展開します。

神山清子さんと賢一さんは運動を広めるために、全国でチャリティ展を開きました!そして各地で、骨髄バンクの必要性を訴え続けます。そのかいあって、わずか4カ月で約3,000人のドナー希望者が集まりました。しかし、賢一さんと適合するドナーは見つかりません・・・。

現在は国が負担してくれる血液検査の費用ですが、当時は個人負担で借金を抱えました。その後、払えなくなった『救う会』は解散。借金については、神山清子さんが作品を売ったお金で払っていたそうです。

1991年1月、東京で「骨髄バンクと患者を結ぶ会」が結成され、神山賢一さんが会長に就任します。そして2人は骨髄バンク運動の先頭を走り続けましたが、6月に神山賢一さんが高熱が出し再入院。診断の結果、白血病は急性に転化していました。

妹・神山静子さんからの骨髄移植!

HLAが完全に一致していなくても骨髄移植すれば治ったというケースもあり、神山清子さんは二座不一致で完全に一致していませんが、これに懸けてみようと妹・静子さんに頼みました!

その後、妹・静子さんから骨髄移植を受け、少しずつ元気を取り戻していった神山賢一さん!2か月後、待望の日本初・公的骨髄バンク「骨髄移植推進財団」が設立されます。

しかし、平成3年(1991年)2月に再発!神山賢一さんは国宝級「天目茶碗」が見たいと頼み、神山清子さん・看護婦さんと展示してある”徳川美術館”へ。しかし、休館日で見ることができませんでした!

そして平成4年(1992年)4月21日に容体が急変し、神山清子さんの子守歌を聞きながら旅立ってしまいました。

Twitterで話題に!

武志についてのツイートがたくさんあがっているので、紹介します☆


武志の体調の悪さを心配する声が1番多かったです!そして次に多かったのは、どうして様子を見に行かないのか・武志の心配させないようにする性格についてです。この調子だと、”武志ロス”確定ですね!

まとめ

今回は、武志の病気・今後どうなるのかなどについて紹介しました。ネットでは、「武志に嫌なフラグが…」「やめてー!武志をこんな体調悪い風の匂わせさせないでー!!」など大きな反響を呼んでいます!武志の今後に注目しましょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆