朝ドラ

スカーレット/キックボクサー沢村!モデルはなつぞらとも関係が?

NHK連続テレビ小説101作目『スカーレット』♪

武志が喜美子に内緒で書いた”八郎への手紙”・・・三択でしたが、実際は一択ですよね(笑)どうしてもテレビが欲しいのは、大好きなキックボクサー・沢村を見るためです!そこで今回は、キックボクサー・沢村に注目します!

ハナ
ハナ
小学生になって突然キックの練習始めたよね(笑)
サク
サク
信作と喜美子が八郎に向かってしてたのも面白かったけど!

武志が夢中になっている”沢村”・実在モデル・なつぞらにも関係が?などを紹介します☆

武志は”キックボクサー・沢村”に夢中!

父・常治の死から3年後の1969年(昭和44年)!
喜美子は31歳、武志は小学生になっていました。


武志は、キックボクサー”沢村”に夢中で、よく得意技の「膝蹴り」を繰り出します!さらに、朝から腹筋も(笑)


そんな憧れ”沢村”の試合を見るため、喜美子や八郎へテレビが欲しいとお願いします!なかなか承諾がでませんが、今後どうなるのか注目しましょう☆

”キックボクサー・沢村”の実在モデルは?!

モデルは昭和のヒーロー?!

スカーレットで武志が憧れている”沢村”は、当時の小学生のヒーローだったキックボクサー・沢村忠さんがモデルではないかと言われています!

1943年1月5日生まれ、満州出身!半生を描いた漫画やアニメの『キックの鬼』の影響によって、世間からはキックの鬼と呼ばれていました。幼少の時、祖父から剛柔流空手道を習います。大学在学中には全日本学生選手権で優勝し、60戦無敗でした。

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1966年(昭和41年)4月、日本キックボクシング協会が旗揚げされ、“沢村忠”として参戦します。デビュー戦は、ラークレイ・シーハーマンを2RKO勝利。ムエタイのルンピニーフェザー級8位のサマンソー・アディソンと対戦した際は、16度のダウンを奪われ25ヶ所以上の打撲を負い、4RKO負けを喫しました。

しかし、この敗北を機に特訓。当時、キックボクシング中継の実況をしていた石川顕さんが命名した真空飛び膝蹴り飛び前蹴りを武器にKOを重ね、活躍していきました。

『キックの鬼』って?!

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キックボクサー・沢村忠さんの半生を描いた『キックの鬼』は、梶原一騎さん原作・中城けんたろうさん絵の少年漫画で、それを原作とするテレビアニメです。原作漫画は、少年画報社の『少年画報』に1969年2月号~1971年8号まで連載されていました。

アニメ版は、1970年10月2日~1971年3月26日までTBS系列局で放送/全26話。東映動画とTBSの共同製作作品で、アニメーション制作も東映動画が担当しました。東映動画初のTBS系ネット作品となっています。

ハナ
ハナ
時期を照らし合わせると、実在モデルは沢村忠さんで間違いなさそう!

なつぞらにも関係が?

主人公のなつ(広瀬すずさん)は、東京のアニメ会社「東洋動画」に入社し、順調にキャリアを積んでいきました。その後、結婚・出産を経験しながらも、いくつかの困難に立ち向かいつつ、連続テレビアニメ『キックジャガー』の作画監督を務めます。

「キックジャガー」は、ジャガーマスクを着けた主人公が孤児院のためにキックボクシングで戦うというストーリーでした。

「キックの鬼」も「タイガーマスク」も原作者は、漫画原作者・小説家の梶原一騎さん。キックボクシングは「キックの鬼」で、キャラクター・ストーリーは「タイガーマスク」をモチーフにしたともいわれていました!なつぞらでは、昭和47年(1972年)に『キックジャガー』は大ヒットし、最終回を迎えようとします。


川原家にテレビがきて、『キックジャガー』の放送や『奥原なつ』という文字が見れるかもしれんせん☆なつぞらに”まんぷくラーメン”が登場したり、スカーレットに”ダネイホン”が登場したりしているので、『キックジャガー』にも期待したいしましょう!

まとめ

武志が夢中すぎるから私も気になり”キックボクサー・沢村”について調べました(笑)時期的にも、なつぞらの「キックジャガー」と重なっていたので、ワクワク度が増しました☆喜美子と八郎、そして三津の関係性も気になりますが、武志の憧れ・沢村にも注目しましょう♪

最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆