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スカーレット川原武志のモデル・神山賢一の生涯!彼女や作品も紹介

NHK連続テレビ小説101作目『スカーレット』♪

喜美子と十代田八郎がついに結婚☆昭和40年の夏には、川原家の敷地には喜美子と八郎の作業場”かわはら工房”が完成しました!そして、2人の間には長男・武志が生まれ、すでに4歳に(笑)これからどうなるのか、実在モデル・神山賢一さんに注目します!

ハナ
ハナ
喜美子の妊婦姿は見れないのか・・・。
サク
サク
スカーレットは、展開が早い(笑)

今回は、川原武志の実在モデル・神山賢一さんについて紹介します☆

「スカーレット」川原武志って?!

川原武志の役柄

喜美子の長男で、喜美子のことを心の中で尊敬しています。工房に出入りして育ち、常に陶芸が身近にありましたが、将来進む道については迷っていて決まっていません。明るく優しい性格で、ひょうきんな一面もあります。

演じるのは?!

川原武志の幼少期は又野暁仁くんが演じ、伊藤健太郎さんにバトンタッチします☆

又野暁仁くん・・・
平成25年2月生まれです!戸田恵梨香さんとは『あの日のオルガン』で共演しています!
『西松屋』や『ひらかたパーク』のCM、『科捜研の女19/香坂タケル役』『この道/北原隆太郎役』などに出演していました!

伊藤健太郎さん・・・
1997年6月30日生まれ、東京都出身です!雑誌・広告を中心にkentaro名義でモデルとして活動し、2014年『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』では健太郎名義で役者デビューを果たしました!『学校のカイダン』『俺物語!!』『トランジットガールズ』などに出演しています。

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実在モデル・神山賢一さんの生涯について!

神山賢一さんはどんな人?

スポーツが好きで少林寺拳法を習ったり、姉・久美子さんからテニスやバドミントンを習っていました。久美子さんと組んでバドミントンの地区大会で優勝したり、信楽町の体育部長としても活躍します。

そして、友人と大好きなバイクを改良してモトクロスのレースに出場!鈴鹿サーキットのモトクロスのレースで入賞したこともあるようです。

神山清子さんと易久さんの離婚!

神山賢一さんは、昭和36年(1961年)2月16日に滋賀県信楽町で誕生しました!のんびりした性格で打たれ弱く、どちらかと言うと口下手であまり自己主張をせず派手なことは苦手でしたが、大勢の友だちに恵まれます。

父・神山易久さんと母・神山清子さんは、「近江化学陶器」で社員として働いていましたが独立し、信楽焼の陶芸家として活動を始めました!

2人は自宅に「寸越窯」を築きますが、神山易久さんに別の女性が・・・恥ずかしさと情けなさで生きていく心地がしない清子さん。そんな時に、神山賢一さんが父に「僕は、母さんと姉ちゃんと頑張る。父さんなんていなくていい」と言ったそうです。

白血病が発症!

離婚した神山清子さんは、釉薬を使わない「自然釉」で色を出すことに成功し「信楽自然釉」と名付け、信楽焼の女性陶芸家の草分けとなりました。神山賢一さんは、信楽工業高校(現:信楽高校)を卒業後、窯業試験場(焼き物に携わる人が技術を学ぶ場所)に通い【ロクロ・釉薬・石膏型】の勉強に打ち込みました。

3年後、釉薬の研究をしていた神山賢一さんは「天目茶碗」の制作に熱中します。順調にいっているかのように思えましたが、29歳の時に慢性骨髄性白血病で倒れてしまいます。

医師からは「助かるには同じ白血球の型、HLAを持つドナーからの骨髄移植しかない」と説明されました。同じHLAを持つ確率はきょうだいで4分の1。残念ながら神山賢一さんと姉・久美子さんは適合しませんでした。他人から提供してもらうしか方法がありませんが、適合するのは数百人〜数万人に1人・・・。医師からは「息子さんの余命は2年半ほど」とも告げられました。

「神山賢一を救う会」を結成!

神山清子さんは陶芸に注いでいた情熱を、骨髄移植の実現に向け奔走・・・。完治には骨髄移植が有力ですが、身内や友人・知人に白血球の型が一致する人はいませんでした。

神山賢一さんの知人たちが「神山賢一君を救う会」を結成し、ドナー探しと募金活動を開始しします。さらに市民団体などが協力して「神山賢一君支援団体連絡協議会」も発足しました。2つの団体は「ほかの患者さんのドナーも探そう・骨髄バンクの早期実現を訴えよう」と骨髄バンク活動を展開します。

神山清子さんと賢一さんは運動を広めるために、全国でチャリティ展を開きました!そして各地で、骨髄バンクの必要性を訴え続けます。そのかいあって、わずか4カ月で約3,000人のドナー希望者が集まりました。しかし、賢一さんと適合するドナーは見つかりません・・・。

現在は国が負担してくれる血液検査の費用ですが、当時は個人負担で借金を抱えました。その後、払えなくなった『救う会』は解散。借金については、神山清子さんが作品を売ったお金で払っていたそうです。

1991年1月、東京で「骨髄バンクと患者を結ぶ会」が結成され、神山賢一さんが会長に就任します。そして2人は骨髄バンク運動の先頭を走り続けましたが、6月に神山賢一さんが高熱が出し再入院。診断の結果、白血病は急性に転化していました。

妹・神山静子さんからの骨髄移植!

HLAが完全に一致していなくても骨髄移植すれば治ったというケースもあり、神山清子さんは二座不一致で完全に一致していませんが、これに懸けてみようと妹・静子さんに頼みました!

その後、妹・静子さんから骨髄移植を受け、少しずつ元気を取り戻していった神山賢一さん!2か月後、待望の日本初・公的骨髄バンク「骨髄移植推進財団」が設立されます。

しかし、平成3年(1991年)2月に再発!神山賢一さんは国宝級「天目茶碗」が見たいと頼み、神山清子さん・看護婦さんと展示してある”徳川美術館”へ。しかし、休館日で見ることができませんでした!

そして平成4年(1992年)4月21日に容体が急変し、神山清子さんの子守歌を聞きながら旅立ってしまいました。

神山賢一さんにプロポーズ?!

2019の春、神山清子さんの窯場に”50代後半の女性”が訪ねてきました。

その女性は、賢一さんの天目茶碗をじっと眺めながら泣き始めます。それも・・・大号泣!!話を聞くと、賢一さんに『退院したら結婚して』とプロポーズしていた、当時の彼女だったんです。

賢一さんは『余命が短い僕には、無理や』と断っていました。窯場で作品の販売もしている神山清子さんはお客さんと思ってたらしく、驚いたそうです!

ちなみに・・・
神山清子さんは、賢一さんの恋人の存在が気になっていました。そこで「そういう女性がいるなら、隠さずに言ってね、伝えたいことはちゃんと伝えてあげるから」と伝えていたようです!

ハナ
ハナ
賢一さんは、断ったからと思って言わなかったのかな・・・。
サク
サク
神山清子さんは、本当に嬉しかっただろうね☆

作品はどこで見れる?!

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お2人の作品は窯場に行くか、神山清子さんが開催している”親子展”で見ることができます☆入場料が無料の場合は写真もOKのようです!(念のため、係の方や神山清子さんに確認お願いします。)

神山清子さんの”寸越窯”はどこ?

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神山清子さんの陶房は、陶芸の森美術館へ向う坂道20m右側が入口で、2分程して見える赤い屋根が目印!仕事場や作品展示場・食器展示・販売室があります。もちろん穴窯、ガス窯炉油窯、電気窯も♪

穴窯の作品は、手掘の信楽原土で薬を掛けずに2週間焚きます。焼き上げた自然釉作品は、独特な色と形で不思議な光が・・・。食器は一つ一つ手作りで、お手頃な価格です。映画「火火(ひび)」ロケ地でもあり、当時の作品などを見ることもできます。気軽に見学でき、本人とお話しすることも可能!陶芸についての話はあまりなくて、最近の話題についてがほとんどということもあるそうです(笑)

問い合わせはコチラから♪

まとめ

神山賢一さんのことをいろいろと知るたびに、神山清子さんと賢一さんの”親子愛や絆”の強さが伝わってきました!そんなお2人の作品には、いろんな想いが込められているんでしょうね。機会があれば、私も作品を見たり・神山清子さんとお話してみたいなと思いました!

スカーレットではどういう展開になるか分かりませんが、川原武志にも注目しましょう♪最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆