朝ドラ

エール池田二郎のモデル・菊田一夫の生涯や家族の現在は?作品も紹介

連続テレビ小説102作目『エール』

いよいよ、第15週から後半スタートです!! 日本は戦争に突入・・・裕一は作曲した戦時歌謡が大ヒットし、次第に時代の波に飲み込まれていきます。今回は、物語の後半を支える登場人物のひとり池田二郎の実在モデル・菊田一夫さんに注目します☆

ハナ
ハナ
池田二郎は、北村有起哉さんが演じるんだよね?!
サク
サク
裕一とコンビを組んで活躍か!窪田正孝さんと北村有起哉さんがどう演じるか注目だね!

ということで、実在モデル・菊田一夫さんの生涯について・家族や子供たちの現在について・代表作などを紹介します♪

実在モデル・菊田一夫さんの生涯について

この投稿をInstagramで見る

Shino Shiozaki(@ssshino1900)がシェアした投稿


菊田一夫さんの本名は”菊田数男”です。神奈川県横浜市で生まれますが、養子に出されて生後4ヵ月から転々と他人の手で育てられました。その後、5歳のときに菊田家の養子になっています。その後、台湾城北小学校に入学したのですが、学業半ばで薬種問屋に売られ、年季奉公を務めました。

1925年(大正14年)、上京して印刷工として働くかたわら、浅草国際劇場の文芸部に入りました。1933年(昭和8年)には、古川ロッパさんたちによって浅草常盤座で旗揚げされた劇団「笑の王国」に座付き作家として迎え入れられ、劇作の道へ。そして、1936年に東宝へ移籍して、東宝文芸部の主力となりました。

戦時中は、岩手県江刺市(現:奥州市)に疎開していた菊田一夫さん。1937年(昭和12年)にラジオドラマの脚本を手掛け、古関裕而さんと出会いました。戦後間もなく、再会した古関裕而さんとコンビを組んだ菊田一夫さんは、数々のラジオドラマ・テレビドラマ・映画・演劇・ミュージカルを手がけ、多くのヒット作品を世に送り出します。

この投稿をInstagramで見る

 

yasuki1131(@yasuki2222)がシェアした投稿


1955年(昭和30年)に東宝の取締役に就任し、2年後には芸術座を開館。また、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の上演権を獲得した菊田一夫さんは、日本で初めてブロードウェイ・ミュージカルを舞台に乗せました。「がめつい奴」「がしんたれ」「暖簾」「花のれん」「丼池」「道頓堀」など、大阪を舞台にした作品により「大阪ものは菊田一夫」と賞賛されています。

その後、1973年(昭和48年)4月に数年患っていた糖尿病脳卒中を併発し、66歳で死去しました。そして、1975年(昭和50年)に菊田一夫さんの功績を記念し、「菊田一夫演劇賞」が東宝によって創設されました。その年4月1日から翌年3月31日まで東京で上演された演劇作品から、「菊田一夫演劇賞選考委員会」により選考が行われ、毎年4月に授賞式が行われます。

ちなみに2019年は、20年にわたり「SHOCK」シリーズを牽引してきた堂本光一さんが”演劇大賞”を受賞しました!!

家族や子供たちの現在について

元妻:高杉妙子さん


時期は分かりませんでしたが、古関裕而さんと菊田一夫さんの代表作鐘の鳴る丘」に出演した”高杉妙子(本名:福田琴子)”さんと結婚しています。(※離婚時期も不明です)

高杉妙子さんは、1919年(大正8年)に東京で生まれました!帝劇の舞台「花咲く港」などで活躍していた高杉妙子さんは、スクリーンでも活躍し、「ロッパ歌の都へ行く」「歌へば天国」「東京キッド」などに出演しています。

1937年(昭和12年)には、コロムビアの廉価盤だったリーガルレコードから歌手デビュー。代表曲は、「大陸の乙女」「赤い屋根青い屋根」「純情子守唄」「年ごろ」などがあります。1955年(昭和30年)には、ドラマ「サザエさん」にフグ田サザエ役で出演。1957年(昭和32年)にはサザエさんの後番組「とんちんかん物語」に出演しました。

1993年(平成5年)末、持病のリウマチが悪化し、1994年(平成6年)6月30日に鎌倉市内の病院で死去。75歳でした。

娘:菊田伊寧子さん

作曲家として活躍している長女の伊寧子さんは、『「ママによろしくな」 父・菊田一夫のまなざし』という、菊田一夫さんについて書いた著書を出しています。

幼少からピアノを習い、碑文谷教会のオルガニストを務めていました。森村学園高等学校卒業後は、作曲と管弦楽法を鈴木静一さんに、和声と対位法と十二音理論などを清田茂さんに師事して学んでいます。

菊田一夫さんが脚本演出を担当した『紅花物語』『とりかえばや秘文』などの音楽を担当することも。その他、多くのテレビ番組の音楽なども手がけています。

菊田一夫さんと高杉妙子の間には、2人の娘がいるのですが次女に関しての情報はありませんでした。

妻:能勢妙子さん

1915年(大正4年)東京生まれ。能勢妙子さんは古川ロッパ一座に在籍し、1935年(昭和10年)にビクターレコードからデビューしました。1937年(昭和12年)6月に発売した「あなたなしでは」がヒットしています。

1939年(昭和14年)に、他の男性と結婚し引退。戦後の1947年(昭和22年)に復帰すると、菊田一夫さんとの関係を巡り夫に訴えられ、1951年(昭和26年)に離婚が成立。その後、菊田一夫さんと再婚しました。1999年(平成11年)に84歳で死去しています。

菊田一夫さんの代表作は?!

鐘の鳴る丘

この投稿をInstagramで見る

 

Ota Kiyofumi(@otakiyofumi)がシェアした投稿


『鐘の鳴る丘』は、1947年(昭和22年)7月5日1950年(昭和25年)12月29日まで、NHKラジオで790回放送されたラジオドラマです!戦争から復員してきた青年、加賀美修平が、戦災孤児たちのために、信州に彼らの住める場所を作ってあげようと努める物語となっています!

「鐘の鳴る丘」は、浮浪児たちのかたくなな心をときほぐし、少年の家を建てようとする主人公・修平の情熱と、次第に力を合わせてたくましく生きようとする子供たちの姿が多くの共感と感動を呼び、主題歌とともに戦後早々の時期を代表する国民的ヒット番組となりました。

ちなみに、主題歌は「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫さん・作曲:古関裕而さん・歌:川田正子さん、ゆりかご会)です!1948年(昭和23年)には、選抜高校野球入場行進曲にもなりました。また「とんがり帽子」は古関裕而さんの母校・福島県立福島商業高等学校の応援歌の一つとして使用されています!

放浪記

この投稿をInstagramで見る

 

mari織物初心者(@ma_ri.kx3)がシェアした投稿


1961年10月20日芸術座で初演された舞台劇で、原作は林芙美子さんの放浪記』です。初演時の脚本演出菊田一夫さん、音楽古関裕而さん、主演は森光子が担当していました!

主演の森光子さんは初演から死去されるまで変更されず、2009年5月9日(89歳の誕生日)には『放浪記』上演2000回を達成し最後の公演に!しかし、2015年に仲間由紀恵さんが主演で舞台『放浪記』が復活しています。

森光子さんが演じる林芙美子が喜びのあまり”でんぐり返し”をするシーンは有名でしたよね☆「森光子といえばでんぐり返し」「放浪記と言えばでんぐり返し」と言われ、劇中最大の見所とされていました。仲間由紀恵さんが主演になってからは、側転1回のあとに横に寝そべって3回転に変更されています。

その他の作品は?!

●1942年:「道修町」
●1943年:「花咲く港」
●1947年:「地獄の顔」
●1948年:「フランチェスカの鐘」
●1949年:「イヨマンテの夜」
●1951年:「さくらんぼ大将」
●1952年:「君の名はシリーズ」「ジャワの踊り子」
●1955年:「由起子」
●1956年:「恋すれど恋すれど物語」
●1957年:「忘却の花びら」「暖簾」「赤と黒」
●1958年:「花のれん」
●1959年:「がめつい奴」「ダル・レークの恋」
●1960年:「敦煌」
●1960年:「がしんたれ」
●1961年:「花と野武士」
●1962年:「あの橋の畔で」「花のオランダ坂」
●1963年:「霧深きエルベのほとり」
●1964年:「シャングリラ」「蒼き狼」
●1965年:「終着駅」
●1966年:「風と共に去りぬ」
●1967年:「津軽めらしこ」三国志
1968年:「まぼろしの邪馬台国」
●1970年:「哀愁」

まとめ

今回は、エールで北村有起哉さんが演じる”池田二郎”の実在モデル・菊田一夫さんについて紹介しました!裕一を演じている窪田正孝さんと北村有起哉さんが、古関裕而さんと菊田一夫さん名コンビをどう演じるのかにも注目したいですね☆最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆