朝ドラ

スカーレット荒木さだの実在モデルは鴨居羊子!ドラマ衣装協力も?

NHK連続テレビ小説101作目『スカーレット』♪

焼き物の里である滋賀・信楽の女性陶芸家・川原喜美子が主人公です。ものを作り出す情熱と喜びを糧に、失敗や挫折にめげずに生きていく姿が描かれています。ストーリー展開や登場人物が気になりますが、もう一つ!実在モデルがいるのか気になりませんか?

ハナ
ハナ
ほとんどがオリジナルキャラに近いよね!
サク
サク
荒木さだのモデルになったのは・・・?

今回は、羽野晶紀さんが演じる荒木さだの実在モデル・鴨居羊子さんについて紹介します!ドラマの衣装協力もしているようなので、要チェックです☆

スカーレット「荒木さだ」ってどんな人?

荒木商事は、女性の下着をデザインする会社です!社長の荒木さだは、マツの遠縁にあたります。戦後、女性のファッションの変化に目をつけ、ブラジャーなどの女性下着のデザインを始めました。一方で実家を下宿屋「荒木荘」として改装。やがて親戚の喜美子が女中として働くことに。進歩的ですが、お嬢様育ちの一面もある女性です!

実在モデル・鴨居羊子さんについて!

名前:鴨居羊子(かもいようこ)
本名:鴨居洋子(かもいようこ)
生年月日:1925年2月12日
出身地:大阪府豊中市
高校:豊中高等女学校(現・大阪府立桜塚高等学校
大学:旧制大阪府女子専門学校(大阪女子大学)国文科卒業

\本名について/
鴨居羊子さんは、動物が好きだったこともあり「洋」のさんずいを取った「羊(ひつじ)」を使用するようになったそうです!


鴨居羊子さんは、大正14年(1925年)に大阪府豊中市で生まれました。しかし、新聞記者だった父・鴨居悠さんの転勤により金沢・韓国の京城・大阪・金沢と移り住みます!戦後の昭和24年(1949年)に父が亡くなり、無一文になりました。

生活をするために、鴨居羊子さんは父の友人に頼み「新関西新聞」という小さな新聞社の夕刊に校正として入社します!その後、昭和26年(1951年)に大手・読売新聞が大阪に進出してきたのを機に、読売新聞へ転職し”ファッション”担当記者になりました。

しかし、新聞記者がサラリーマン化していたことから嫌気が・・・さらに、極度の人見知りから初対面の人に会うのが苦痛になり、記事が書けなくなって3年ほどで退社しました。

ハナ
ハナ
このころ、路地裏の野良犬たちと交流をもってたんだって!
サク
サク
その時に書き留めていたのを、「のら犬のボケ」として出版したんだね♪

”女性の衣服の中で下着がもっとも遅れている”と感じた、鴨居羊子さんは下着を作ろうと決意します!この当時の下着は”メリヤス”が使われていましたが、つけ心地が悪かったそうです。そこで、新聞記者の時に取材した「東洋レーヨン」の新素材・ナイロンに目を付け、退職金3万円を持って購入しに行きます。そして『チュニック制作室』を立ち上げました。

ガータベルトの制作を開始しした鴨居羊子さん。商売が上手くいかず、新聞記者の時に知り合った【産経新聞/司馬遼太郎さん】【毎日新聞/山崎豊子さん】【彫刻家/大山昭子さん】らがカンパをしてくれ、昭和30年(1955年)12月に大阪のデパート「そごう」で下着の個展『W・アンダーウエア展』を開催しました。

ハナ
ハナ
このころは、まだブラジャーも普及されてなかったんだって!
サク
サク
色も、下着と言えば「白」が相場だったんだよ!

『W・アンダーウエア展』では、自らがデザインした斬新なカラー下着・柄物の下着・レースや刺繍をふんだんにあしらった下着・ナイロン素材のスキャンティ・ガーターベルトなどの下着を発表しました!下着専門のデザイナーは、鴨居羊子さんが日本初です。

そして、昭和31年(1956年)に1坪の部屋を借りて『チュニック制作室』を創業しました!鴨居羊子さんは日本製品の「安かろう悪かろう」から脱却するため、値段は高くても品質をあげ、認めてくれる人にだけ売ろうと考えます。すると「第1次下着ブーム」が到来!!

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その後、売り上げが急増し工場としてしようする物置小屋を借りました。第1次下着ブームの波に乗った鴨居羊子さんは、石津商店(ヴァンジャケット)の石津謙介の紹介で、阪急百貨店に進出!

そして、「雑誌/中央公論」で『下着ぶんか論』を発表します!昭和32年(1957年)5月には、鴨大阪南の映画館”スバル座”で下着ショーを開催しました!「ヌード喫茶」のショーを参考にしていたので、現在のファッションショーのようなショーでした!

\当時の下着ショー/
男子禁制で、女性に機能の説明や付け方を教えるなど、下着ショーというより「教室」のようなショー!鴨居羊子さんは、大勢の人に見てもらうために映画館で開催したそうです!

それから東京の百貨店にも進出し、積極的にショーを開催するなど下着デザイナーとしての地位を確立していきました!順調に売り上げが伸びたこともあり、昭和33年(1958年)に『チュニック株式会社』を設立します。

社名の由来は?!
鴨居羊子さんは、頭でエジプトの昔にさかのぼって、人間がはじめて衣類を着たときの喜びを名前に求めたました。そして「チュニック」という名前にぶち当たります。日本ではチュニック・コートという名前でしか知られていませんでしたが、エジプト人が初めて着た貫頭服のことで「衣服」のことであり、狭義では「下着」のことでもありました。『チュニック!』可愛らしい発音で、しかも大きな意味のある名前という流れで決まったようです!

その後、右肩上がりだった下着業界も、全国に下着が普及され昭和50年(1975年)にピークを達しました!このころは、ワコールやトリンプが下着業界を主導していて、平成に入るころには会社の経営が傾きます!

さらに、私生活でも14年間寝たきりだった母の死・画家で弟の鴨居玲さんの自殺など、苦悩の連続でした。昭和54年(1979年)鴨居羊子さんは、気管支炎で倒れ入退院を繰り返します!昭和60年には脳溢血・64年には十二指腸潰瘍で入院しました。

その後、身の回りのお世話をしてくれていた牛島龍介さんを後継者に指名!鴨居羊子さんは、自宅で静養しながら執筆活動をしリハビリにも精を出していました。しかし、平成3年(1991年)3月に様態が悪化し、病院へ!平成3年(1991年)3月18日に脳内出血で亡くなりました。

「チュニック」の商品がドラマの衣装に?!

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10月5日(土)にスタートした『ドラマ リカ』の第1話で、雨宮リカを演じている”高岡早紀さん”がチュニックのナイティ(ルームウェア)着用していました!高岡早紀さんの雰囲気にピッタリでしたね☆

今後もチュニックの洋服をたくさん着る予定のようなので、コチラもチェックしてみてください♪

まとめ

羽野晶紀さんが演じる荒木さだの実在モデルは”鴨居羊子”さんで間違いないと思いますが、全てが同じわけではないと思います!第3週から舞台が大阪に変わるので、荒木さだや下宿屋のメンバーにも注目しましょう♪

最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆