2020年度前期のNHKの連続テレビ小説「エール」♪
作曲作品総数は、約5,000曲!!スポーツ・ラジオドラマ・歌謡曲・演劇・社歌等、様々なジャンルの曲を作曲しています♪校歌や応援歌も作曲しているので、みなさんの母校の校歌も「古関裕而さんが作曲」だったということもあるかもしれませんね☆
今回は、古関裕而さんの作曲した曲について紹介します!
福島ゆかりの曲は・・・
福島行進曲 作詞:野村俊夫さん(昭和6年)
1930(昭和5)年頃、全国的に地方名を入れた新民謡(現在でいうご当地ソング)が次々と誕生しました。昭和4年に、福島でも何か作ろうということになって古関裕而さんが作曲♪故郷に捧げる意図で、昭和6年5月デビューレコードとしてこの曲が発売されました。
野村俊夫さん
福島市出身の作詞家で本名は「鈴木喜八さん」。古関裕而さんの5歳年上で、近所に住んでいました。コロムビアに入社した古関裕而さん、野村さん・歌手の伊藤久男さんは、「コロムビア三羽がらす」と呼ばれていたそうです!
ふくしま小唄 作詞:野村俊夫さん(年代は不明です!)
福島市の北裡(きたうら)商店街の割烹・待合・芸妓でつくる三業組合が依頼して作られました。歌詞に福島の名所【吾妻山・競馬・飯坂温泉・弁天山など】や、名物【さくらんぼ・萱場梨】が盛り込まれていて、当時の宴会の席では欠かせない歌だったそうです。
福島音頭 作詞:野村俊夫さん(昭和29年)
ラジオ福島・福島民報社が制定した新民謡です。作曲に古関裕而さん・作詞に野村俊夫さん・歌唱を伊藤久男さん(コロムビア三羽がらす)に、当時人気だった神楽坂はん子さんが加わって、盆踊り用のレコードとして発売されました♪
阿武隈の歌 作詩:若山牧水さん(昭和41年)
若山牧水さんが福島を訪れた際に詠んだ歌『つばくらめ ちちと飛び交ひ 阿武隈の 岸の桃のはな 今さかりなり』に古関裕而さんが作曲したものです。
昭和41年に、福島市の板倉神社にある阿武隈川畔に歌碑が建立されるのを記念して、古関裕而さんが作曲しました。
牧水さんの歌碑は、全国に275基もあると言われています(東郷町若山牧水顕彰会調べ)が、楽譜が歌碑に添えられているのは、めずらしいものだそうです!
福島の夏を彩る風物詩「福島わらじまつり」!
例年8月初旬に2日間開催され、初日は古関裕而さん作曲の「わらじ音頭」にあわせて踊ります♪2日目の「ダンシングそーだナイト」は、「わらじ音頭」をヒップホップ調にアレンジしたものになっているそうです☆
歌謡曲は・・・
船頭可愛や 作詞:高橋掬太郎さん(昭和10年)
コロムビア専属作曲家になって5年目、初の大ヒット曲♪この曲は、高橋掬太郎さんの歌詞に日本民謡の旋律を活かしながらも、クラシック調として作曲したものです!
古関裕而さんは自伝で「私は初めて、自分で作曲した曲がどこへおこなっても流れている喜びを知った。」と述べています。
日本歌謡界黎明期の重鎮作曲家・佐々紅華(さっさ こうか)さんや、「蝶々夫人」が代名詞の三浦環(みうら たまき)さんなども大絶賛した曲です!
露営の歌 作詞:藪内喜一郎さん(昭和12年)
昭和12年春、古関裕而さんは夫婦で満州旅行へ。
日本に戻ってから目にした新聞に「進軍の歌」歌詞募集の結果が掲載されていました。古関裕而さんは東京へ向かう特急の中で、その第2席の歌詞に、満州で見たままの光景が浮かぶなど共感するものがあり、自然と作曲します。
東京に到着しコロムビアの担当者から、その「進軍の歌」第2席の作曲依頼をされ、古関裕而さんは驚きました!この曲は「露営の歌」としてレコード化して、大ヒット!
暁に祈る 作詞:野村俊夫さん(昭和15年)
愛馬思想普及のために松竹映画「暁に祈る」の主題歌として作曲依頼のあったものです。野村俊夫さん・伊藤久男さん(コロムビア三羽がらす)での担当となりました。
古関裕而さんの自伝には「中支戦線に従軍した経験がそのまま生きて、前線の兵士の心と一体になり、作曲が楽だった。兵隊の汗にまみれ、労苦を刻んだ日焼けした黒い顔、異郷にあって、故郷を想う心、遠くまで何も知らぬままに運ばれ歩き続ける馬のうるんだ眼、すべては私の眼前に彷彿し、一気呵成に書き上げた」快心の一作と書かれています。
雨のオランダ坂 作詞:菊田一夫さん(昭和22年)
菊田一夫さんから、演劇で使用するために依頼のあった曲です。
昭和10年に長崎を訪ねていた古関裕而さんは、菊田さんの抒情的でありロマンティックな美しい詞に、かつての長崎の情景を重ね、作曲意欲をそそられた快心の一作!
間奏には、「マダム・バタフライ」(蝶々婦人)のハミングコーラスの一部を入れたり、歌は三拍子・間奏は四拍子にするなど、古関裕而さんならではの独特な妙味を表現しています。しかし作曲当時の長崎は、原子爆弾によりかつての美しい町並みは灰燼と化していました。
高原列車は行く 作詞:丘灯至夫さん(昭和29年)
「あこがれの郵便馬車」と双璧をなす作詞:丘灯至夫氏、作曲:古関裕而氏、歌唱:岡本敦郎氏のトリオ曲です。丘灯至夫さんは、幼少の頃、に湯治で利用していた沼尻軽便鉄道の思い出を歌詞に込めていましたが、その歌詞からイメージした古関メロディは、スイスなどのヨーロッパを巡る高原列車をイメージした曲想でした。
この明るく健康的なホームソングは、中学校の音楽の教科書にも取り上げられ、当時遠足のために乗っていた中学生が「高原列車は行く」を歌っていました。たまたま同乗していた古関裕而さんは大喜び♪
現在では、古関裕而さん生誕100年を記念し、JR福島駅の在来線の発車メロディとして平成21年4月11日から流れています。あのメロディーも、古関裕而さんだったんだねと思う方もいるのでは?
ラジオ・映画・舞台音楽は・・・
とんがり帽子 作詞:菊田一夫さん(昭和22年)
戦災で父母を失った子供たちが巷にあふれ、上野の地下道の凍死者はあとを絶たず、誰も食べるのに精一杯の時代・・・CIE(連合国総司令部の民間情報教育部)により、戦災孤児救済のキャンペーンとしてNHKラジオ・ドラマ「鐘の鳴る丘」がスタートしました。主題歌として作曲された曲です。
その昔、NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の舞台となったところだ、
今こうして立ってるが元あった場所ではない pic.twitter.com/NpwnNwPmHH— 黒い点 (@Sunspots832) 2016年11月26日
この作品で、古関裕而さんは「ハモンド・オルガン」と出会います。2億数千万種の音色が出せ、幽玄な境地さえ表現できるので、このラジオ・ドラマにその機能が十分に発揮されました。
イヨマンテの夜 作詞:菊田一夫さん(昭和25年)
NHKラジオ・ドラマ「鐘の鳴る丘」のなかで、奥多摩の山奥で木材を切っている樵が歌詞のない歌を口ずさむという場面で使われました!奥多摩の深山をイメージして作曲したこの曲が、わずかの放送で消えるのが惜しくなり、菊田さんが旋律にあう歌詞をつけた曲です。
古関裕而さんは自伝で・・・「派手で劇的な効果に男性的な豪快さがあり、男性なら一度は歌ってみたくなる曲。リズムが十六分音符と八分音符の二拍子系なのに、メロディには三連音符が多く現れる二対三の変則的なリズムをいかに歌いこなすかが問題で、作曲にその面白みをねらってある。」と述べています。
レコード会社は「こんな難しい歌は売れっこありませんよ」と見捨てて、ポスターを一枚も作成しませんでした!しかし、のど自慢で男性のほとんどがこの曲を歌うなど、レコードはヒット盤となりました。
さくらんぼ大将 作詞:菊田一夫さん(昭和26年)
「とんがり帽子」に続くNHKラジオ・ドラマ「さくらんぼ大将」の主題歌です。前作に続き、脚本を菊田一夫さん、音楽を古関裕而さんが担当しました。
子供向けの番組として、社会問題抜きの明るいユーモアのある純情物語であるこのラジオ・ドラマは、福島市の「茂庭」が物語の舞台となっています☆物語の舞台となった一部は、現在福島市の「水源」となっていて「摺上川ダム」に!
君の名は 作詞:菊田一夫さん(昭和28年)
『君の名は』(きみのなは)は、日本の昭和期に放送されたラジオドラマである.
脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。 pic.twitter.com/Uic7GXFSzT— すーももん/勉強垢 (@kakuundoryo) 2016年8月27日
「さくらんぼ大将」に続くNHKラジオ・ドラマ「君の名は」の主題歌です。
大人向けのメロドラマとして、毎週木曜日の午後8時30分からの30分番組としてスタート!春樹と真知子のすれ違いは、ラジオ・ドラマはじまって以来の大ヒットともなりました。
松竹映画によって映画化となり、春樹に佐田啓二さん、真知子に岸恵子さんを起用し「真知子巻き」などの社会現象が!
ラジオ・ドラマでは、同曲の歌唱をクラシックの声楽家・藤原歌劇団の高柳二葉さんが担当。一方、映画では織井茂子さんが起用され、双方とも大ヒット曲となりました。
放浪記(昭和36年)
舞台として上演されてきた「放浪記」は、林芙美子さんの自伝的小説「放浪記」が原作です。初演時の脚本・演出は菊田一夫さん・音楽は古関裕而さん・主演は森光子さん!
主演の森光子さんは、初演から死去まで変更されませんでした。1990年には公演回数1000回を、2009年5月9日(森光子さんの89歳の誕生日)には『放浪記』上演2000回を達成!2012年11月10日に森光子さんが死去したため、2009年5月29日の2017回目の公演が最後となりました。
でんぐり返しをするシーンが有名でしたよね!「森光子といえばでんぐり返し」「放浪記と言えばでんぐり返し」というイメージが強いです!
- 1939年「戦ふ兵隊」(亀井文夫監督)
- 1944年「桃太郎 海の神兵」(瀬尾光世演出)
- 1952年「安宅家の人々」(久松静児監督)
- 1953年「ひめゆりの塔」(今井正監督)
- 1953年「太平洋の鷲」(本多猪四郎監督・小田基義応援監督・円谷英二特撮監督)1953年-1954年「君の名は」3部作(大庭秀雄監督)
- 1955年「赤いカンナの花咲けば」(小田基義監督)
- 1957年「永すぎた春」(田中重雄監督)
- 1957年「大学の侍たち」(青柳信雄監督)
- 1958年「共犯者」(田中重雄監督)
- 1959年「鉄腕投手 稲尾物語」(本多猪四郎監督)
スポーツ音楽は・・・
栄冠は君に輝く 作詞:加賀大介さん(昭和24年)
昭和23年の学制改革に伴い、「全国中等学校野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」に変わったことを受け、作曲されたものです。歌詞は全国から公募されました。
現在でもテレビなどでこの曲が流れており、多くの人に馴染みのあるこのメロディ♪古関生誕100年を記念して、JR福島駅の新幹線発車メロディとして平成21年4月11日から流れています。
スポーツ・ショー行進曲(昭和24年)
昭和22年、NHKのスポーツ放送のテーマ曲として作曲されたもので、昭和24年にコロムビアからレコード化されました。現在でもNHKで使われておりますが、います♪
最初は、NHK交響楽団を使って演奏されました。番組のテーマ音楽にN響が使われたのはこれが最初です。放送が始まると、「誰の作曲?」「外国人が作曲?」など問い合わせがたくさんありました。
オリンピック・マーチ(昭和39年)
昭和39年に開催されたアジア初の東京オリンピックで選手入場の行進曲として使用された曲です。オリンピック東京大会組織委員会とNHKから作曲依頼があり、古関裕而さんは東京オリンピックにふさわしいマーチがどんどん浮かんできました。
アジアで初めて開かれるオリンピックに世界の多くの若人が集まる瞬間を、妻・金子さんと2人でイメージして作ったと言われています。
戦後復興を象徴付ける国家イベントであると同時に、国際社会に復帰する意味合いも!東京オリンピックの選手入場行進曲の作曲を依頼されたということは、名誉あることですよね!
六甲おろし 作詞:佐藤惣之助さん(昭和11年)
現在では「阪神タイガースの歌」が正式名称ですが、一般的には「六甲おろし」として今もなお、阪神ファンに親しまれています。作曲した当時は、「大阪タイガースの歌」でしたが、現存するプロ野球球団のなかでも、最も古い球団歌です。
作詞を担当した佐藤惣之助さんは、神奈川県川崎市の出身!生家跡地の現在は、川崎信用金庫本店となっていて、敷地内に「佐藤惣之助生誕の地碑」が建っています。阪神タイガースがリーグ優勝した平成15年には同碑の上に同曲の歌碑が設置されました。
闘魂込めて 作詞:椿三平さん(昭和38年)
プロ野球の読売巨人軍創立30周年を記念し、球団歌「巨人軍の歌」として作曲されました。現在では、「闘魂込めて」という通称で親しまれています。巨人軍の球団歌として3代目となります。
3曲のうち2曲が古関裕而さんの作曲で、1代目の球団歌が、昭和14年に作詞:西條八十さん、作曲:古関裕而さん、歌唱:伊藤久男さんにより、「巨人軍の歌-野球の王者-」として発表されました。
古関裕而さんが作曲した「スポーツ音楽」に関しては、聴きおぼえのある曲が多いですよね☆
校歌や応援歌は・・・
- 北海道・・・7校
- 東北地方・・・10校
- 関東地方・・・72校
- 中部地方・・・34校
- 近畿地方・・・14校
- 中国地方・・・19校
- 四国地方・・・2校
- 九州沖縄地方・・・19校
- 古関裕而さんの地元:福島県・・・107校
と、古関裕而さんはたくさんの学校の校歌を作曲しています!
福島商業高校青春歌 作詩:坂内萬さん(昭和5年)
古関裕而さんの母校、福島県立福島商業高等学校で校歌と共に、現在でも歌われています。作詩の坂内萬(ばんないよろず)さんは、教師として大正15年から昭和15年まで国語・漢文を担当していました。若い学生に誇りと夢を持たせたいという願いを込めてこの詩が完成!
紺碧の空 作詞:住治男さん(昭和6年)
古関裕而さんは、福島県本宮市出身の伊藤久男さんと懇意になり、伊藤さんの従兄弟が早稲田大学の応援部に属していたことから、第六応援歌として作曲依頼を受けたものです。歌詞は早大全学生から募集しました。
応援歌の作曲はあまり経験がなく、歌詞に合う旋律が浮かばず苦労し・・・その後、歌い継がれる応援歌(現在では第一応援歌)として完成しました!
我ぞ覇者 作詞:杉浦洸(昭和45年)
昭和21年、戦争によって中断されていた東京六大学野球リーグ戦が再開されました。
慶応大学応援団は、「打倒早稲田」を意識!「紺碧の空」があまりにも良い曲であったので、新しい応援歌に古関裕而さんに依頼します。古関裕而さんは、早稲田大学の了解を得ることを条件に承諾し、作曲されました。
「早稲田を倒せ」という歌詞がありますが、歌詞に特定の相手方の名前を入れるのは今までに無かったことでした。ライバル同士の作曲に同じ作曲者を双方が選ぶというのは、古関メロディがそれだけ応援歌として優れているという事実なのでしょうね。
その他・・・
別れのワルツ スコットランド民謡(昭和24年)
スコットランド民謡「Auld Lang Syne」(オールド・ラング・サイン。日本では「蛍の光」として有名。)が、昭和24年公開のアメリカ映画「哀愁」で効果的にアレンジされていました。
そのアレンジを参考に古関裕而さんが編曲し、コロムビアの洋楽盤「別れのワルツ“Farewell Waltz”」として発売されました。これがロング・セラーとなり、現在でもデパートやレストランなどの店舗閉店時のBGMとして使われています。
モスラの歌 作詞:由紀こうじ(昭和36年)
昭和36年に東宝により公開された映画「モスラ」で劇中に使われた曲です。多くの人々の耳に残っている曲の一つですよね♪作詞の「由紀こうじさん」は、田中友幸さん・本多猪四郎さん・関沢新一さんの3人の共同ペンネームです!当初、歌詞は日本語で書かれ、インドネシア語に翻訳されて使われました。
- 1950年 NHK「今週の明星」テーマ曲(作詞:藤浦洸さん)
- 1956年 NHKテレビ「歌の広場」テーマ曲(作詞:丘灯至夫さん)
- 1970年 NHK「日曜名作座」テーマ曲(演奏:コロムビア・オーケストラ)
- 1970年 NHKラジオ「ひるのいこい」テーマ曲(演奏:コロムビア・オーケストラ)
- 1970年 NHKラジオ「早起き鳥」テーマ曲(作詞:佐藤竜太さん、歌:三鷹淳さん・真理ヨシコさん)
- NHK「教育テレビ放送開始・終了」テーマ曲
まとめ
今回は、古関裕而さんの代表作を紹介しました!作曲するにあたっての流れやエピソードも面白いですね♪朝ドラ「エール」、古関裕而さんが作曲した曲にも注目しましょう!古関裕而さんがモデルの主人公を演じる、窪田正孝さんの演技も楽しみ!期待しています♪
最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆